しのびづか公園
しのびづか公園
しのびづか公園
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しのびづか公園
しのびづか公園

 昔は死亡しても町の火葬場は使用させてもらえず、園内に火葬場が設けられ、同じ入所者の手によって火葬されていました。

 開園当初の火葬場は、薮池地区にありましたが、1955年4月にこの地に移設され、1964年12月から愛生園と共同利用になり、2000年12月末日まで使用されていました。この間、両園入所者約1,500有余名を火葬し荼毘に付してきました。右側の亀の甲羅のような形をした「しのび塚」は、ご遺骨の残骨をお納めしています。2006年7月に火葬場跡の公園整備を行い慰霊碑を建立しました。慰霊碑には当時の火葬場の写真が刻まれています。

 また、2002年に設置された「ハ病問題に関する検証会議」の検証によって、園内に49体の胎児等標本の存在が明らかになり、終生隔離政策によって、この世に生を受けることがなかった49体は、半世紀以上もの長い間、ホルマリン漬けの状態で保存されていました。まさに、人間不在、患者絶滅のハンセン病政策でした。

 その後、胎児等の鎮魂のため、2007年4月にその遺骨を納めた「慰霊」の碑が建立され、毎年供養祭が行われています。

 2007年4月