中野婦長殉職碑
中野婦長殉職碑

 この碑は、1934年の室戸台風で当園の前身である外島保養院が壊滅(入所者173名、職員・家族14名死亡)した際、我が身を犠牲にしてまでも入所者の救命に全力を尽くし殉職された「中野鹿尾(なかのしかお)」看護婦長を記念して1942年9月に建てられたものです。

 中野婦長は、当日いち早く重病棟に出勤し、風雨におびえる病人たちを励まし、避難と決まるや、すぐさま身動きもできない病人を背負い、また、手を引いて堤防へと急ぎ、それは三度にもおよび津波の迫る中、なお、その水の中に入って行き、残されている病人を背負い、視覚障がい者の手を引いて堤防へ上がろうとした際、高波に飲み込まれ二日後に遺体で発見されました。中野婦長は1934年4月に就職したばかりの看護婦であったが、遺体発見後、災害のあった9月21日付で婦長昇格の任命を受け、殉職死亡退職となりました。

 1942年9月